絶対ここに住んじゃうもんね!!ーギリホリ女子のオーストラリア赤裸々生活ー

ギリホリでオーストラリアワーホリに飛び込んだHIROが永住権を取るまでの道のり

オーストラリア上陸大作戦!!

『あなたは一人で飛行機に乗った事があるだろうか』

 

この答えがYESであるあなたは、旅上級者であると思われる。

この日の私にそれを質問したのであれば、答えは実はYESであった。

オーストラリアにワーホリで行く前、私はすでに10か国を訪れていた。

一番最初は、小学校4年生の時。シンガポール

そんで、香港、カンボジア、タイ、韓国、台湾、トルコ、モロッコ、スペイン、マレーシア。

(ちなみに、こっちに来てから、韓国とタヒチニュージーランドに行きました。)

すべて旅行だけで、住むのは初めて。

一人で飛行機に乗ったのは、モロッコに行った時と、スペインから帰国した時だった。

ぜんっぜんどんな感じだったか覚えていないけど。

なので、オーストラリアに行く飛行機しかもJALに一人で8時間くらい乗るのなんてへっちゃらだった。

 

という気持ちでは全然なかった。

 

まじで緊張していた。だって、これから知らない人と住むんだもん。

緊張するって。

しかも、両親が空港に見送りに来てくれてて、そんでもって、前回お話したように荷物が全然オーバーしててぎりぎりになり、本当にもうゲートしまる寸前だった。

ていうのが、これも以前お話したように、ビザを申請してからパスポートを申請しなおしてしまって、空港でチェックインする時に、

「何ビザですか?」

「ワーキングホリデーです!」

「…ビザの記録がありません。以前のパスポートをお持ちですか?」

「…持ってない…。(青ざめ)」

というやり取りがあって更に時間がかかってしまったのだ。

 

マジ最悪!!!

 

海外に何年も単身赴任していて旅慣れている父(ただでさえ短気)は激しくイライラし始めており、それに対して私のストレスもマックス。

空港で出発前に泣くというドラマ。

そして、てんぱった状態で家族と別れて一人飛行機へ。

 

こんな状況でおちついてたらこわい。

 

という心情であった。

ボロボロ…(涙)

の私を、CAさんたちは優しく受け止めてくれて、なんと一人で3席も使わせてくれたのでした。

なので、ボロボロになりつつも、快適な空の旅を楽しんじゃった私。

飛行機で横になって寝れるって本当にラッキー。

千葉出身の私は、リムジンバスで成田空港に1時間ちょいで到着し、夜の便でブリスベンへ(どこそれ?)に向かったのでありました。

 

飛行機は好きですか?

 

この当時の私は飛行機が大好きだった。

機内食とか興奮するし、飲み放題だし、映画も無料で見放題(当時はNETFLIXとかなくて、映画はまだレンタル屋さんで借りたり、金曜ロードショーとかテレビで見たり、映画館に行ったり、Wow Wowに加入したりしないといけなくて結構面倒くさかったんです)。

そしてCAさんは優しい。そしてなんか楽しい。

いえーい。

 

てな訳で、無事に飛行機に乗り込み、そしてなんと…。

 

 

オーストラリア上陸!!!!!

 

 

しました!!!!

朝っぱらの空港に到着した私。

ビザとパスポートの件があって、もしかしたら空港に着いても国内に入れてもらえないのではないかとビビる。

でも、あっさりと入れる。

「…どういう事だろう。でもきっとこれでいいに違いない。バレる前に、一刻も早く空港から逃げ出したい。」

と焦る私。

 

日本の留学センターから、サンシャインコーストにいるエージェントのアントワネットさんが来ているといわれていたので、アントワネットさんらしき人を探す。

いない。

 

…ん?

 

なんと、アントワネットの娘のションテルとその息子のクレイ(赤ちゃん)が迎えに来てくれていたのだった。

つーか。娘て。そして赤ちゃん連れで仕事場に来ちゃうって。

『自由すぎる…。』

と、眠い頭で思う私。

ションテルは何か20歳くらいの見た目。

何歳だったか忘れたけど、そんな感じだったと思う。

「お母さんと一緒に仕事してるから。」

といけしゃあしゃあと言うが、こんな小娘に仕事をさせていいのか?みたいな。

後で考えると、アントワネットはきっと免許が何かの理由で取り消しになっていたんだと思う。

彼女の車を一度も見たことないもん。

「ションテルよ。よろしくね。」

と言われても、

「は?ショ?何?」

これからもたくさんたくさんこういう人が登場しますが、『こんな名前聞いた事も見たこともない。』という人がたくさんいるのです。

海外から来た名前だったり、適当に作られた名前だったり。

聞き取れてもつづりがわかんなかったり、どう考えても覚えられない名前もたくさん。

お年寄りの方がシンプルな名前が多いと思う。

赤ちゃんのクレイ(土って意味。こんな名前を赤ちゃんにつけるってどうかと思うけどね。でも土は地球の象徴だから、地に足のついた良い名前とも言えるらしい。)に関しても、意味を聞いてみたら。

「意味はないの。響きがいいかなって思って。」

との事。

こっちでは、名前にほとんど意味がない。

それよりは、『想い』が入っている。

パパと同じ名前。とか、おじいちゃんと同じ名前とか。

だから、日本人の名前にほとんど意味があるという事を教えてあげると、オージーの人はとっても感動をして、必ずと言っていいくらい、

「美しい名前だね(That's a beautiful name)」

と言ってくれます。かわいらしいコメントだな~っていつも思う。

 

とりあえず、ションテルの車(ベビーシート装着)にて一路サンシャインコーストに向かう事に。

空港からブリスベンの町が見下ろせた事を覚えている。

3月末だったから、気候は少し暑いはずだったけど、とりあえず朝っぱらなので、涼しくて快適。

サンシャインコーストに向かうと言っても、サンシャインコーストは海岸にそって縦長に伸びている地域。

その中のどの町に住むかによって、かかる時間もだいぶんかわります。

まあ、そんな事も全然知りもしない私です。

 

今調べてみたけど、車でブリスベン空港から私のホームステイ先は1時間半くらいみたいでした。

車に乗ったら速攻寝る私は、さっさと寝て、起きたらホームステイ先という展開。

 

 

 

「Hello!!」

「ハ、ハロー。」

やべえ!!!ついに来たぜ!!!

ビーチまで徒歩5分以内の海岸沿いにあるおうちに住む家族は、みんな超ラフな格好をしていたのに、私は日本から来たジーパン。みたいな。

場違い感が半端ない。

パパとママは私の1歳年上(当時の私が29歳だから、30歳)で、子供は上の子が女の子で5歳、下の子はまだ2歳でおむつをしながらうろちょろしている状態。

そして、でかい犬のルーク。かっこよすぎる。

みんな髪も日焼けしてて金髪だし、なんと言っても、美男美女のカップル。

やばすぎる!マジで理想のホストファミリーすぎる!

やばい!!もうすでに人見知り!!!!

あ~ん。どうしよう~。

と半べそをかいている間に、ションテルはさっさと帰宅。

 

「おうちを見せるね!」

と、スーツケースをもっていってくれる動ける若夫婦。

うちの中はバリ風の家具でそろえてあって、超いけている…。

素晴らしすぎる!!

私の部屋としていただいた部屋も、ベッドはクイーンサイズだし。

ただ、家をいろいろ改装していて、その後二つあるシャワーの一つが使えなくなり、4人家族と私が全員同じシャワーを奪い合うという事に。

まあそんな事はどうでもよい!!

素晴らしい!!!そしてとてもやさしい!!

どうしたらいいんだ!!!!

 

 

その日に一体どんな話をして、何をしたとか正直全然覚えてない。

でも、今までも何人か日本人を受け入れた事があるし、奥さんはフランス語を勉強していた事があって、語学にとっても興味がある感じ。

前に受け入れてた子の写真を見せてくれたり、日本語でのあいさつを覚えてくれたり。

「今まで来た日本人よりも英語が上手だね」

とか嬉しい事を言ってくれたり。

5歳の女の子も、ませがきで口が達者だけど、超絶かわいい金髪美人。ママと一緒に日本語のあいさつを覚えてくれたり、

イチローさんの畑で~ イーアイイーアイ オー」

って日本語で教えたら歌ってくれたりしてかわいかったな。

パパは、かっこいくて人見知ったから、全然しゃべれなかった。

しかも、男の人の英語って聞き取りにくくて、あんまり何か言われてもわかんないし。

うちのインターネットの使い方を教えてくれたんだど(当時Wifiのあるおうちはあんまりなくて、みんなわりとモデムと線でつないでた)それも実は全然わかんなかった。

ので、基本的にうちではインターネットは使えない。

以上。

 

初日は、ビーチを見せてくれて、そのあとフィッシュアンドチップス(魚のフライもしくは天ぷらとフライドポテト)を一緒に食べたりしたと思う。

でも、食べ物は何をどのくらい食べたらいいのかがいつも全然わかんなかった。

あんまり食べないんだよね。私のホストファミリーって。

『これで全員分?』

みたいな量だったりして。

基本的には超遠慮してたな~。もっと食べたいって言えなかった。

もしもっと食べたいか聞かれたら、食べたければ食べたいっては言えたけど、もし足りなくても足りないという事はできなかった。

なんか、はずかしくて。

一応朝食と夕飯の二食付きのプランで、お昼は自分で調達だったんだけど、とても親切なおうちだったので、冷蔵庫にあるものは食べていいよって言ってくれて、ピーナッツバターとか、ハムとかチーズの簡単なサンドイッチを作っていた記憶。

お店にも徒歩では行けなくて、家族が買い出しに行くときに一緒に行くんだけど、そこで自分の買い物をする事もなんかできなくて、いつもあるものを『食べきらないように』食べてたな~。

買い物の仕方がよくわかんなかったし、なんか、もともとシャイだから、色々言い出せなくて、なすがまま。

最初の1か月でぎゅんぎゅん痩せました(笑)。

もともとデブだったんで。

 

さて、いよいよ明日から老人ホームのボランティアが始まります!!

めっちゃ緊張。どうしよう。

 

 

国は決定。他にする事なんでしょか?

『オーストラリアに行きます!!』

 

はーい!いってらっしゃーい!

とは、簡単にはいきません。

色々と準備がありますよ。

 

まずは、ビザをとりましょう。

これは私の様な『自分では何もしたくない。なぜならできる気がしないから。』という人には大きな問題ではありません。

だって、代理店さんにやってもらう事ができるから。

自分でワーキングホリデーのビザを取る事は、難しい事ではありません。

学生ビザだって、がんばればとれます。

でも当時の私にはできなかった。

恥ずかしいですけど、言います。

『自力ではできないと思った』と。

なので、例の留学センターの坂田さんにすべてやってもらいました。

あっという間にとれたし、ちゃんとやってくれて問題もなかった。

んですけど、ここで一つ問題があります。

ビザを取る前にパスポートをチェックしましょう。

これにはマジでやられたの。しかも空港で出発日に。

パスポートとビザはくっついています。

なので、パスポートを変更したらちゃんとビザとくっつける必要があったんです。

そんな事は知らなかった~。

まあ、これはあとの話。

 

そう。だから、ビザを取る前にパスポートを確認しないといけません。

私はワーホリに行く前にパスポートを変更しました。

まだ期限は切れてなかったけど、ワーホリに2年目というものが存在している事を知って、できるだけ長くいられるように、出国直前に新しい10年のパスポートを申請したの。

本当に何もわからない私は、オーストラリアでパスポートを更新できるとかも知らなかったし、調べる事すらしなかった。

こっちにいる間にそのパスポートが切れて、一度更新しています。

その時はとっても感慨深かったな~。

 

パスポートやビザについては、時間がかかる可能性があるので、早めに準備をするべし!です。

何がおこるかわかんないし、それが自分の責任じゃない事もある。

その時に泣いても怒っても取り返しはつかないんです。

それも含めて自分の責任。

そう思えるようになるには時間がかかったな。特に海外では本当にそういう事が

多くてイライラしっぱなしだった。

 

その他に必要なものはなんでしょうか?

それはお金です。

なんか、夢も希望もない感じで申し訳ない。

とは言ってもやっぱりお金があった方が、ないより絶対に絶対によいのです。

それと同じくして、英語力

これも絶対にあった方が、ないよりもいいものだと思う。

色々な人がいるし、実際お金がない状態で来てた子もいたけど。

私はここから、

『1か月10万貯金を目安にして、1年で100万貯めて1年後に行こう!』と決めました。

バイトしました。

掛け持ちもした。昼働いて、夜も働いた。

深夜勤務のコールセンターで働いていて、周りにもたくさん海外を目指している人がいた。

しかも、夜中って暇な時があるんです。夜中の3時とかくらいかな。

そんな時には、英語の参考書を持って行って勉強してました。

私が勉強していたのは、

ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単な英語の本』

という本でした。たくさん英語の本を読もう!って書いてあって、シリーズの本が出てたの。

とにかくたくさん本を読む。まずは幼児向けの本を読むところから始めよう。

って書いてあって、チャーリーとチョコレート工場を読んでたんです。

そしたら映画になったからとってもびっくりした。うれしかった。

このビッグファットキャットシリーズは、勉強というよりは楽しんで読んでいた。

それと、単語の勉強はDUOを受験の時から使っていて、例文で単語を覚える!みたいな。

家出のドリッピーも母が買ってて、それを聞いたり(結局最後までは聞けてないから結末がわかんないけど)もしてて。

大人になってから、自分のお金で英会話教室に通った事もありました。

でも結局続かなくて。

高いしさ~。しかもなんか、つまんないんだもん。

変な話、他のたいして上手じゃない(つまり自分のレベルの)生徒の英語を聞いてもお金の無駄だな~って思ってしまって。

でも、めっちゃ少人数とか一対一とかにすると、高いんですわ。

だから続けられなかった。

インターネットで話すみたいのもやってみたけど、結局自分のペースで勉強する系はマジで向いてない。こういうのができる人はお金が節約できると思うな。

むりやり教室に行く。行かないといけないから、宿題をする。

みたいのが自分には向いてます。ていうか、それしかできない。

 

あと、留学センターで無料の英会話が何回かついてたの。

それはいつも一対一で、とても役に立ちました。

でも先生はオーストラリア人じゃなかったから不思議だよね。今思うと。

自信をつけるのは、絶対に一対一ですよ。

私みたいに、シャイなくせして見た目がシャイじゃない人は特にね。見栄をはってしまってあんまり馬鹿な質問とかできないし。

そのくせ優等生面して、自分のばんが来るとそつなくこなしちゃうから結局なんか不完全燃焼になっちゃうの。

下手でも馬鹿でもガンガン行ける人は大人数のクラスもおすすめできます。

先生は結局さ、質問する人に目を向けないといけないじゃないですか。どんなに『あほやなこいつ』と思ってもね。

 

でも、衝撃的な事がありました。

その先生の一人が、亡くなってしまったの。

どこか島国から来てて、肌の浅黒い素敵な女性だったの。まだ若かった。

交通事故に巻き込まれてしまったんだそうです。

坂田さんが落ち込んでいて、とてもかわいそうだった。

でも宗教の関係で、遺体を燃やす事ができないから、その遺体をどうするかっていう事でもめてたと思う。

結局どうなったのかな。燃やさないで、飛行機で輸送をするにはとってもお金がかかるんですって。

こういう事もあるんだなと思いました。

海外でなくてもそうだけど、人はいつか死んでしまう。

でもそれが海外で、という事もあるんだと痛感させられた事件でした。

 

それはともかく。

一生懸命にバイトをしてお金をためて、英語も勉強して、ビザとパスポートも取得して、あとは何でしょうか?

荷造りです。

これ、本当につらいのよ。

だいっきらい。

得意な人もいると思います。でも私は泣きながらやった。

何をもっていって、なにがいらないとかわかんないし。

今となっては、こっちで何でも買えます!と言えるけど、当時は日本にはあってもこっちにはないものはたくさんありました。

でも、それもこっちに来てから知りました。

だからさ~、荷造りは難しい。としか言えんのよ。

荷物の制限とか全然調べてなかったし、新しいスーツケースとかバックパックとか色々買ったりして、とにかく詰めれるだけ詰めておいたんだけど…。

空港についてから、重量オーバーすぎて荷ほどきさせられて、時間かかりすぎてもう少しでフライトのがす所でしたわ。

これホントの話。

親が来てくれてて、もうお金払ってあげるから、このまま送りなさい!って言われて、段ボールいっぱいの荷物をホームステイ先に送ったんです。

1万円以上かかった記憶。本当に親不孝。

しかもたいしていらない物ばっかりでした。

賢い人は、荷物が一番少なくていいように、冬はあたたかい地域、夏は涼しい地域に移動したり、セカンドハンドを買ったり売ったりしてましたね。

そんな事も後から知った。

とりあえず世間知らずの私は、まあ片っ端から詰めて、新しいスーツケースもとても素敵な模様だったから選んだものの、激重。

スーツケース自体の重量が軽い事が重要だという事もその時初めて知りました。

今でも持ってます。あの思い出のスーツケース。

色々旅をしている中で割れてしまって、スーツケースとしては使用できないのですが、物入として今でもとってあるの。

色々なものを捨てたけど、これは何故か捨てられないの。

 

そうこうしているうちに、ホームステイ先が決定していました。

「サンシャインコーストっていう場所です。」

は?どこ?

ブリスベン空港の北の方です。」

は?それもどこ?

ブリスベンの南がゴールドコーストです。」

お!!聞いた事ある!!

 

私は、まあまあ英語ができたので(もちろんぺらぺらでは全然なかった)、日本人の少ない場所に行って更に英語を伸ばした方がいいという判断からサンシャインコーストという場所になりました。

と、言われました。

日本人がたくさんいるゴールドコーストにも支店があって、そこは英語力に自信のないお客さんにおすすめしています。

てな訳で、まあ本当かどうかわかりませんが、決まったところに行きましょう。

若い夫婦とちびちゃんが二人、大きい犬。そしてビーチが家の裏。

超ホームステイちっく!!!!最高!!!

でも死ぬほど緊張!!!

みたいな。

 

ちなみに、航空券の手配も留学センターさんがやってくれて、もう本当に私は何もする事なく、ちゃくちゃくと出発の日が近づいておりました。

 

ここで一つ落とし穴ね。

海外に1年(もしくは2年)行く!!ってなると、お別れ会とか、最後にあっとこう的な会が増えます。

それがね、落とし穴。ここで折角がんばって作ったお金を無駄にしないで!!

お餞別をもらうのはいいけど、飲み会につぐ飲み会。は、やめましょう

帰ってくるし。多分。

そして、『いいな~。遊びに行くね~。』という人は、断りましょう

日本の延長線上にある留学だと、気持ちがゆるむよ。

まあ、そうは言ってもみんな来ないけどね!

この12年で、本当に来てくれた友達って2人しかいないもん。

 

最後に、日本の国民票とか、その他もろもろの手続きもちゃんと面倒がらずにしておきましょう。

まあ後からでもできるけど、なんか親に迷惑かけちゃったな~と私は思っていて。

『あっちに住めたらいいな』ってぶっちゃけ思ってたけど、でも絶対にやってやるぜ!というのは、失敗したら怖いから、なんか保険かけて、いろいろ親に甘えてましたね。

本当に親不孝!!しつこいけど!!

かじれるすねがあるうちはかじれ!とは言いますが(言いませんか?)、本当にごめんねです。

 

これで準備は整いました!!

それでは、いよいよマジで出発です!!!

 マジですよ!!やばいよ!!

 

 

偶然は運命なのだ。だからもう決めちゃうのだ。

「こんにちは~。ポスターを見て連絡した者です…。」

小さい事務所を入ると、世界地図とか、なんか『それっぽい』資料とかが置いてある、ザ・事務所だった。英会話教室の事務室みたい。

担当をしてくれた人は、明らかに私よりも年下のかっこいい男性。

『これは、気を許してはいかんパターンだ!』と気を引き締める私(笑)。

 

「担当の坂田です。よろしくお願いします。」

坂田さんは、とってもさわやかなイケメン青年だった。アラサーという言葉さえなかった時代、アラサーの私は密かに戸惑っていた。

イケメンで口がうまい営業のいる事務所。うさんくさい。

 

「海外に行きたいと思っていて、全然よくわからないので、お話だけでもと思って来ました。イギリスのインターンとか考えてるんですが、お勧めってありますか?」

坂田さんがどんな感じでお話を聞いてくれたか、正直全然覚えてないんですよ。彼の顔も覚えてない。たださわやかなイケメンだったし、誠実で一生懸命な若者だった。

そして彼の上司はホスト崩れみたいな、茶髪のちゃらちゃらした感じのスーツの男だった。という印象。

ぶっちゃけもし最初にその人が担当をしていたら、私はその事務所を使っていなかったと思う。

(10年後別件でその人と関わる事があろうとは、神のみぞ知る!!)

ともかく、不安でいっぱいな私の話を受け止めてくれた後、坂田さんは言った。

「それだったら、ワーキングホリデーとかどうですか?」

興味はあるけど、よくわからないし、不安なんです。

と伝える私に、坂田さんは彼の経験を語ってくれた。

 

坂田さんは高校球児で、野球をめちゃめちゃ真剣にやっていたが、挫折。

20歳でワーホリに行くことにした。

オーストラリアをラウンドして、人生のとてもいい経験となった。

それが元でこの仕事をする事を決意したのです。

写真も見せてくれた。

本人が目の前で自分の経験を語ってくれる事の説得力よ!!

やればできそうな気持にさせられるではないか。

 

しかも面白かったのは、その事務所では、語学学校とホームステイをくっつけていなかったんです。

『語学学校に行って、日本人や韓国人とつるんでしまうのではもったいない。最初に語学研修として、職場体験ボランティアをうちは勧めています。』

というんですよ。

確かに、現地の人たちと触れ合いながら英語を伸ばせて、これはいいプログラムだと思います。今でもそう思っている。

お金を払って、最初の1~3か月間のホームステイ先と職場体験先を斡旋してもらい、残りのワーキングホリデーは自分で頑張ってください。

というスタンス。

面白くないですか???

もともとインターンってそれと同じ事だったから、そこにボーナスで残りの9か月好きに過ごしてみよう!がくっついてくるんだって。

もし嫌だったら3か月過ごしたら帰ってきたらいいんです。

 

もともと、私はすぐに人の話を信用して、すごいいいなあって思ってしまうタイプだった。今は懲りてそうでもないけど。

このよく言えば素直、悪く言えばおばかちゃんな人を信じる性格を、私をよく知る友達の一人に『ビリーバー』と名付けられるのも後々の話。

「ひろちゃんは頭いいのに、そうやってすぐ人を信じてしまうのがすごいなあ」と言われましたとも!

この振りは、またあとできいてくるので覚えておいてください。

 

てな訳で、なんか具体的になってきて、できそうだと思えてきた私。

坂田さんは更に続けます。

「今のなかじまさんの年齢を考えると、国の候補としては、カナダ・オーストラリア・ニュージーランドになると思います。」

イギリスは当時ワーキングホリデーは25歳までだったので、候補から外れてしまったのだ。

「治安、気候、人のフレンドリーさ、住みやすさ、物価から考えると、一番お勧めなのはオーストラリアです。」

カナダはとても人気がある。でもとにかく寒い。そして治安があんまりよくない。

ニュージーランドも治安はよくないし、物価が高い。

総合的にはオーストラリアは治安も悪くないし、物価も高くないし(私がオーストラリアに来た2007年は今より円が強かったと思います。1ドル100円でずっと計算していたもん。)、とてもフレンドリーな国民性で、とても住みやすい。

しかも日本との時差が少ない!!

お勧めはオーストラリアですね。どうしますか?

 

ここまで言われて、オーストラリアでない国を言える人がどこにいよう。

 

別にオーストラリアに何か文句があった訳じゃないんですよ。

ただ、オーストラリアに何の興味もなかったというのが本心。

コアラ、カンガルーとか興味ないし。

ゴールドコーストケアンズとか新婚旅行?興味ないし。

シドニーオペラハウスとか、エアーズロック=世界の中心で愛を叫ぶ(当時はやってた)とか興味ないし。

みたいなね。

でもグレートバリアリーフにはめっちゃ興味あった。ダイビングは絶対にしたいと思ってて、海の近くに住めたらいいな~みたいな?

 

後で考えたら、この事務所はオーストラリアのワーホリを専門でやってたんだろうな~って思う。

だから、あんなにカッコいい人にのせられちゃいかん!と思ってたのに、結局のせられてた!(笑)

でもいいと思います。

この国に何か縁があったという事です。

来た事に後悔してない。むしろオーストラリアを勧めてくれてありがとう坂田さん。

たくさんの人に、「あなたはどうしてこの国に来たの?」と聞かれました。

そのたびに、「偶然入ったオフィスがオーストラリア専門のオフィスだった」としか言えなくて何か申し訳なかったけど。

結局出会いは運命なんですよ。

偶然っていうのは、運命なんです。

時々、なんでここでこの人とばったり!?っていう事ありませんか?

いつもこの時間にこの電車にのらないのにとか、この地域にはめったにこないのにとか?

私、めっちゃあるのそういう事。

すべては運命なので、受け入れて楽しもう!!と思っています。

今はね。この時点ではそうではなかった。

まだ若かったよ。20代ですもん。

 

この日、私が「考えます」と言って持ち帰ったのか、それとも「決めます」と言い放ったのか、それすら覚えてません。

家族に相談とかもなかった。と、思う。

うちの家族はあんまりそういうの反対しないんで。

海外におとんが単身赴任してたし、小さい頃から英語教育をしてくれた親だった。

だからと言って、「英会話教室に通わせたの金の無駄だった!」とか言われた事もないし、「英語を使うような仕事をしてほしい」とか「海外に仕事で行ってほしい」とか言われた事も一切ないから、ぶっちゃけさばけた親だなって今となっては思う。

私が親だったら、「娘を一人で海外なんて!不安だ!」と思うだろうか。それとも、「自分のしてきた英語教育が実を結んでくれた!うれしい!」と思うだろうか。

うちの親はどっちだったんだろうね。

言わないだけで、両方思ってたのかな。

 

何はともあれ、私はこの事務所に、というか坂田青年という人物に私の人生をかけた。

でも表面はあくまで『まあ、それもいいですかね』くらいの体ですよ。

恥ずかしいからね。

お金がいくらかかったかも、覚えてないんですよ~。私、お金の事って喉元すぎるとすぐ忘れちゃうの。

そのお金を自分の貯金から払ったのか、親に払ってもらったのか、借りたのかも覚えていない。親不孝すぎる…。

 

私が選んだのは、ホームステイ+職場体験3か月。

3か月だと2か所選べますと言われた。3か月同じところだと飽きちゃうでしょ。

もともと子供に日本語を教えたかったので、現地小学校日本語クラスのアシスタントを選び、あとは何でもいい感じだった。

花屋さん、保育園、老人ホーム、あと何があったか覚えていない。

「保育園かな~。子供好きだし。」

と言う私に、坂田さんはこう言った。

「同じ様な事をしても意味なくないですか?ここは逆に老人ホーム行ってみませんか?」

…興味なかった。

 

「そうですね、じゃ、それでお願いします。」

もう、坂田さんの言うがままやん。のせられとるやん!

仕方ない。

その場でいい顔しちゃう私。何であの時…。って、あとでぐじぐじしちゃうタイプなんです。

これは本当によくない性格!!!!!いまだに改善できず!!!

 

これで私のプランは決定!

老人ホーム1か月ボランティア+現地小学校2か月ボランティア

あとは、坂田さんがホストファミリーを決めてくれて、私の海外デビューの地が決まるのだ!!

 

これは楽しみだぞ!!!動きだしたぞ!!!!!

 

海外に行ってみよう!でもどうやって?

『そうだ、海外に行こう!』

 

と、決意をしたものの、一体どうやってどこに行けばいいのやら全然わからなかった。

2005年の話です。まだスマホもなければ、インターネットは制限だらけだった時代。

Wifiもあんまりなくて、ネットをするのは学校か家かネットカフェ。

懐かしい~。ネットカフェに行って、ネットがめっちゃ使えるのでびっくりしたもん。

ガラケーでネットを使いすぎたらあっという間にものすごい金額を請求されちゃう時代でした。

今なら「ぐぐれば」という所なのですが、当時の情報の得かたって違ったよね。

なので、まず私は本屋さんに行きました

本屋で、『海外』のコーナーに行くわけですよ。

そんでもって、『海外に住むには』みたいな本をかたっぱしから読みました。

意外と高いからさ。買いたくなくて。

学生の頃からコールセンターでバイトしたりしてて、海外に行って、帰国してバイトしてまた行くんです!みたいな人には会ったことあったけど、まさか自分がそうなるとは。

なんだか、まだ行ってもいないのに、特別な事をしている感で高揚。

なんかいろんな体験談とか読んだり、どこの国に行けそうとか考えたり。

ちなみに、青年海外協力隊も受験した。

そして、あっさり書類で落ちた。手に職もないしね。そういうのは無理かもと思い直す。

 

『でも、私やっぱり自信ないかも…。そして面倒くさそうかも…。』

なんと、だんだんとこんな気持ちが増えてくる私。

ワーホリ体験談とか、なんでこんな事一人でできるのか全然わからん。楽しそうだけど、こんな事できる気がしない。

なんだか調べれば調べるほど、緊張で気持ちがしぼんでしまう…。そんな日々。

 

『いやいや、でもこの生活してられんし。がんばらないと。』

日本語を教えたいという気持ちがあって、しかも小学生くらいの子供が大好きだったから、インターンシップみたいので、お金を払って何か月とかで行ってみようかなと思い始める。

なんとなくアメリカよりイギリスの方がいいかなと思い始める。

アメリカには興味はあったけど、なんか怖いし、なんかミーハーな感じがして踏み込めなかった。イケてる子が行くっていうイメージ?

イギリスの方が大人しそうだし、なんか落ち着いて行けそうな気がした。

でもどんな国にどんなビザで行けるとか全然わからんし、ネットで調べるとそういう団体があるんだけど、お金も結構かかるし慎重に決めたい。

昔そういうので騙された事があって、なんか騙されそうな気がして怖い。

 

あ~、もう~、どうしよう!!!!!

 

そんな時、近所の駅の掲示板にポスターが貼ってあるのに気づいた。

どんなポスターだったか全然覚えてないけど、海外に行きませんか?みたいのだったのね。

私の最寄駅は千葉駅だったんだけど、そこから4駅くらい先の駅に、その事務所はあった。

今ならLINEとかで、なんか気楽にすぐ連絡ってとれるじゃないですか。

でも、その当時はメールも主流じゃないっていうか、何だったんだろう。電話したのかなあ。よく覚えていないけど。

ポスターを見てから、実際に連絡とれるまでにもめっちゃ時間かかったし、リーダーの割には人見知りの私は、一歩踏み出すのにすっごい勇気がいったんです。

何せ自分に自信がないから、『こんな私が行っても邪険にされるんじゃないか』とか、『すごくよくしてくれるのは、私にお金を出させようとしているんじゃないか』とか思っちゃう。

実際にそういう事ってあるじゃないですか。

さっきも書いたけど、ちょっと騙されチックになった事があって。金もないのに矯正下着を買ったりさ。デブだから鴨になっちゃった訳。

別に品物が悪かった訳じゃないけど、あきらか予算オーバーの下着を特注で買ってしまったんですよ。ローンを組んで。

なんか、だから、余計にかわいいとかかっこいいとか、そういう人が良くしてくれる事に対して卑屈な気持ちがあったと思う。

対面でものを勧められると断れないし。

 

『でも、ここまで来たら行くしかない。気持ちを強くもって、嫌だったら断ろう!!』

結局、自分で探して切り開く勇気も自信もない私は、たいして他のエージェントさんも調べもせずに、その留学センターへと行ってみる事にした。

行くだけでもすごい勇気だった。大きな一歩だった。

 

 

それはこうして始まった

『もうこれ以上役者として上を目指す事はしない。』

 

私は27歳になっていた。

小さい頃から、芝居が大好きだった。物心がついて、ジブリの作品を観た時の衝撃。あの時に声優になると決めた。

と、いいつつも成績の良かった私は進学校へもりもりと進み、大学に入ってようやく大好きだったミュージカルを本格的に始める。

遅かったな~。もっと堂々と、これが好き!やりたい!と言える性格だったら良かった。

幼少期からずーっとリーダーだった。それが好きだったし、向いてたし。

でも、地味だけどもくもくと好きな事をやれる人、目立ってても人前で恥がかけてそこから学べる人が本当にうらやましかったな。

私は失敗が怖かった。人前で話せるのに、めっちゃ人見知り。すぐゲリピーになっちゃうタイプ。

先生にめっちゃ気に入られる生徒。後輩に慕われる先輩。お母さん的存在の同級生。

それが私。なかじま ひろみ(仮)の半生てな訳ですよ。

 

でも、芝居は本当にマジだった。大好きだったし、熱中していた。

声優の養成所に通って、2年行く所を大抜擢の飛び級で1年で終わらせて、事務所の舞台に出たけど、声のオーディションでは落ちて事務所に入れなかった。

一緒に舞台に出たプロの方にもいい評価もらってたし、あのままバイトして食いつないで、地道に舞台でやっていくという手もあったかも。

そうやって今でも続けている当時の同志たちもいる。

私は、限界を痛感していた。ほんと、文字通りの痛感。痛かった。

『よい子』の仮面をどうしても外せない自分。ぽっちゃり体形なのにめっちゃ動けたり、変顔できたり、そういう所が自分のウリになっていくんだとわかってたけど、そんな自分が好きになれない。だからウリが使えない。

声優になりたいのに、自分の声が好きじゃなかったし。

好きになってあげて、活かせる方法をもっと研究できたら良かったんだけど、あのころは自分が嫌いすぎてできなかった。

 

てな訳で、挫折ですわ。

 

小さい頃からずっとなりたかったからさ。何したらいいかわかんなかった。

大学の同期はもう就職して5年も勤務してて、でも私はただのフリーター。

良い子の仮面も、そろそろ限界でしょ。27歳、早稲田大学卒業のフリーターですよ。

わかんなすぎて、路頭に迷った。

 

そんな時、今では声優としてちゃんと活躍している友達のさとみが言ってくれた。

「なかじーは海外とか興味あるんじゃなかったっけ?どこか行ってみてもいいんじゃない?」

 

なぜかその言葉はとても心に染みた。

海外に、行ってみよう!!